ご挨拶
住職 釋 龍生
新年あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願い申し上げます
正月と言えば、お重に詰められた色とりどりのおせちにお雑煮など、新年ならではの料理が、各家の食卓を彩る。しかし昨今、四季折々の風物詩にも、合理化や簡素化、または全く新しい時代の流れなどが取り入れられて、その雰囲気が徐々にではあるが変わりつつある。個人的には、一年の内でも数少ない正月のような季節の風物詩を、昔ながらに楽しんでいたい。おせちの慣習的な意味としては、毎日休みなく食事を作る主婦(夫)に、せめて正月の間だけは食事の支度をしなくてもよいように、料理を作り置きする意味がある。いかにも勤勉で世界に名の通る日本人らしい素晴らしい慣習だと思う。
新型コロナウイルス感染症が、依然猛威を振るう今、その影響もあり、食材や食品をうまく消費することができずに、廃棄される現状がある。政府が運営する政府広報オンラインによれば、世界で人が消費するために生産された農水産物のうち、年間におよそ3分の1(約13億トン)が廃棄されていると示す。それは日本も例外ではない。現に日本では、年間約643万トンもの食品ロスが起こっていると警鐘を鳴らす。その反面、同じ地球上では、ケビン・カーター氏(写真家)の「ハゲワシと少女」に象徴されるように、およそ8億人もの人々が、飲食もままならずに飢餓に苦しんでいるという悲惨な現実があることを忘れてはならない。
先の太平洋戦争が終戦を迎えて28年後に、アメリカのグアム島で残留日本兵として保護された横井庄一氏。その横井氏の墓には、小動物の慰霊碑が隣接している。それは戦後28年もの間、横井氏が一人でグアム島で生き延びることができたのは、食すことで自分の血や肉になってくれた小動物たちのおかげだという想いが強かったからである。
私たちが今、生きていると実感することができるのは、私たちと同じ命の重さを持つ仲間であるもの、どこかの生きとし生けるものの犠牲の上に生かされているからである。あるテレビで、「水が、おいしい山菜や野菜を育て、その水が川を下り、海に入り、おいしい魚を育てる。」と言っていた。
私たちは、自然の全ての恵みの上に生かされている。仏教ではこのことを縁起と表現する。人間は必ず何かに支えられて生きていて、逆に何かと支え合わなければ、絶対に生きられない、と。私たちは誰一人としてこの人生を一人で生きてはいない。私たちの見えないところや知らないところで、図らずとも血や肉となる生きとし生けるもの、また私たちの口に運ばれるまでの、食材、食品の加工、販売に携わる人々などに、支えられながら生かされている。今年の正月は、私たちが生きるために支えてくれる生きとし生けるものに想いを馳せながら、また常に生かされていることに感謝を忘れず、お念仏をいただいて、新年の風物詩、正月ならではの料理をあらためて味わいたい。最後にこの詩を。
大 漁
金子 みすゞ
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。
坊守 佐々木 ひろみ
あけましておめでとうございます
昨年はお世話になりました
本年もよろしくお願いいたします
昨年の寺報を読み返していますと、専教寺の例年の年末年始について紹介していました。「例年の」、「いつもの」と当たり前だった日常ができなくなった昨年でした。それでも、秋の寺報でお伝えしたように、専教寺ではできることを続けています。
総代さん、仏婦役員さんには、このような状況の中でも、事務的な仕事や作業をしていただき、感謝しています。
専教寺の臥龍松は、毎年、秋に剪定をしてもらって美しい姿を保っています。はしごや高所作業車を使って、枝を細かいところまで切ってくださっています。でも剪定の時だけ植木屋さんに来ていただいているわけではありません。消毒をしてもらったり、気になるところをその都度手入れしてもらったりしています。昨年は、夏になっても古い茶色い葉がたくさん残り、ふるい落とす作業がありました。また、幹に穴が開いている箇所があり、虫や雨水が入っていないか確かめた上で、穴を埋めてもらいました。このような気になることがあったときには、植木屋さんに連絡すると、すぐに来て手入れをしてくださいます。老木なので心配なこともありますが、四百年近く生き続けるために自分で根を長く広く張っている生命力を信じて、できる限り維持していきたいと思っています。
昨年、矢掛放送とユーチューブで臥龍松の放送をしていただいたので、コロナ禍で最近は少なくなったものの、「テレビを見ました」と観光に来られる方もたくさんおられました。また、松の維持に役立ててほしいと、懇志を届けてくださる方もたくさんおられます。大変ありがたく思っています。
そして、昨年の秋、納骨堂の建設に取りかかりました。老朽化していた旧観音堂を解体し、今、新たに建設しています。連日、職人さんが仕事をしてくださっています。完成は春頃の予定です。墓地にお参りされる方には、ご不便をおかけしておりますが、ご理解とご協力をお願いします。
専教寺を支えてくださっている皆様に改めて感謝申し上げます。
今年は、皆様が健康で、明るい話題の多い年になればいいなと思います。
総代・仏婦役員一同
新年あけましておめでとうございます。
昨年は皆様とお会いすることのできない年となりました。
新型コロナウイルス感染症は、私たちの日常生活をすっかり変えました。コロナ感染の三密を避けるためには、お寺に集うことを自粛せねばなりませんでした。ほとんどの会議案件が紙上でのご報告となっている現状です。にもかかわらず、ご門徒の皆様には、ご理解ご協力を賜りまして、厚く御礼申し上げます。
例年なら、出講くださるご講師さんのご法話をお聴聞し、仏婦手作りのお斎をいただく楽しみがなくなったことは、寂しい限りです。
そんな中で、住職さんは寺報をお送りくださり、相談やお願いした法事はきちんとお勤めくださいました。もちろん、消毒液、マスク、換気等、万全な環境で。寺報では、ご住職、坊守さん方が、本山や専教寺の近況、それらに関わる世間のことなど、門徒に届けるのにご尽力されています。気がつくと、いつもの年よりゆっくりと寺報を読んでいます。寺報には、家に居ながらにして味わう教えがあります。2才のお子様の成長ぶりも目に浮かび心和まされます。専教寺が、本山の掲げる課題に応じて、困窮家庭やおてらおやつクラブの支援に取り組んでいることもわかります。
お寺にお参りすることはできないけれど、お寺からの発信は止まることなく続いています。コロナ禍ではあるけれども、私たちはいつも通り、手を取り合って教えに基づいた御同朋御同行の歩みを続けているのです。コロナ対策をしっかりとしながら、その時その環境に合う生き方、今私たちがするべきことできることを考えて、前進してまいりましょう。
コロナ禍が早く収束することを願いながら、今年もよろしくお願いいたします。
お知らせ
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