八万四千の法門

住職 釋 龍生

 日本は今、大谷フィーバーに沸いている。今年から大谷翔平選手が移籍したロサンジェルス・ドジャースが、ワールドシリーズを制してリーグ優勝した。今年は大谷選手にとって記録づくしのシーズンになった。 メジャーリーグで日本人選手が数々の記録を塗り替えていくことなど、私が子供の頃には夢のまた夢、考えられなかったことだ。そんな大谷選手を含め、次世代の日本人選手が海を渡ってメジャーリーグで活躍するなど、日本人選手の評価を高める礎を築いた 1人にイチロー氏がいる。
 イチロー氏は現在、自らが所属するシアトル・マリナーズの要職に就きながら、日本に帰国した時には、「KOBE CHIBEN」 という草野球のチームで、元プロ野球選手の仲間達と野球を楽しみ、同時に後進の育成にも力を入れている。最近も女子高校野球選抜のチームとイチロー氏のチームが対戦しているのをテレビで見る機会があった。その時、イチロー氏が女子高校野球選抜チー ムのベンチ前で、高校生に指導している場面が映し出された。その時の言葉の要約の一部が次である。

 今の高校野球の中継を見ていると、高校生がよく好きな言葉に、「練習は裏切らない」 とか、「努力は報われる」という言葉を挙げることがある。「練習は裏切らない」というのはまだ理解できる。だからといって「努力は報われる」というのはイコールとして結びつくものではない。現状の練習の質やその方法が、本当に自分の成長に繋がっているのか。要は、しんどい事をいくら重ねても、やり方を間違えていたら、上手にはならないのであって、自分でこれだけ練習しているのに、なかなかうまくならない、次に進めない、というのは違うと思う。

 お釈迦さまは、この世で成仏した仏様として、様々な仏様の教えを交えながら、生きとし生けるもの (以下、衆生)が悟る真実の教えを、実に8万4千通りに渡って説かれた。これは衆生の在り方に合わせて説く対機説法という方法で、様々に説かれたためである。その結果、悟りの教えは莫大な数になり、その数ある教えから各々が選び取ることで、様々な仏教の宗旨を生んだ。
 しかし、お釈迦さまが経典に説かれる悟りの教えの大半は、人間にとっては成じ難いものである。少年期から青年期にかけて 比叡山でご修行された、親鸞聖人 (以下、宗祖) もこのことに深く悩まれた。目の前にある数ある経典の、仏道修行による悟る教えは分かっている。そしてこの教えに基づいて仏道修行を積んで体現することが可能であれば、自ずと悟ることができる。しかしいくら仏道修行を行っても、理屈では分かっていても、その身にどこまでも巣食っている煩悩が、水が油を必然として弾くように悟ることを拒絶する。私は一体この先どうすれば良いのか、どうすれば救われるのか。絶望の中、この命を懸けた問いに答えを与えたのは、師匠の法然聖人 (以下、法然) の導きであり、その内容、アミダさまの教えである。
 お釈迦さまは晩年、衆生の最後の砦ともいうべき、アミダさまの教え (浄土三部経) を説かれている。宗祖も法然の導きにより、アミダさまが無条件に届けてくださる、すべての救いの功徳が込められた南無阿弥陀仏・お念仏の教えに出遇い、身も心も救われていく。 
 宗祖の著書、「唯信鈔文意」 に、

さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。

という言葉がある。私たち衆生は、例外無く命尽きるまで煩悩具足の凡夫であり、その日常や人生においては、等しくどこまでも小石のような小さな存在なのである。煩悩がその身に巣食っている以上、お釈迦さまが説く真実の悟りの教えを、元々全うで きる器では無い。「しんどい事を重ねていても、間違ったやり方でやってたら、上手くなれるはずはない」、先のイチ ロー氏の言葉が、心の底に響き渡る。
 お釈迦さまの対機説法とは、衆生の在り様を見抜いた上で、数ある教えが衆生の意志によって作用するその成り行き、教えを説く順序などを細かく熟考されている。そして仏教の教えという壮大なスケールの中で、あらためて計算され尽くされて、世に投じられたものなのである。

本堂の本棚から

坊守 佐々木 ひろみ

 日頃、困難や煩わしいことに出会うと、しばらくそのことを考えてしまいますが、最終的には「何とかなるわ」と気持ちをリセットすることが多いです。また、人と比べてしまうときもありますが、そんなとき心に浮かぶのは、「みんなちがって みんないい」という言葉です。これは、ご存じの方も多いと思いますが、金子みすずの「私と小鳥と鈴と」という詩の一節です。
 以前も寺報でお知らせしたことがありますが、本堂には、絵本の本棚を置いています。昔から親しまれてきた絵本から、最近話題の絵本など、読んでみたいなと思う本をいろいろと並べています。その中に、『金子みすず詩集 こころ』があり、「私と小鳥と鈴と」も収録されています。どの詩にも、金子みすずの優しさがあふれています。
 さらに、今日紹介したい本は、『まどみちお詩集 ぞうさん』です。まどみちおも、優しい詩をたくさん作っています。中でも、「ぼくがここに」という詩を読むと、だれもが尊い1人として大切にされているのだ、と温かい気持ちになります。

ぼくがここに  
  まど・みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここにいることは できない

もしも ゾウが ここにいるならば
そのゾウだけ。
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ

しか ここにいることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられて いるのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

 お釈迦さまは、生まれてすぐに7歩歩いて「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと伝えられています。「この世で自分こそが最も尊い」と解釈されることがありますが、実際には、「この世の生きとし生けるものは全て、かけがえのない尊い存在である」という意味です。この、「ぼくがここに」の詩も、そのような考えに通じるものがあるのではないでしょうか。
 本堂でお参りされる際、ぜひ絵本を手に取っていただきたいと思います。

内視鏡大腸検査

衆徒 佐々木 龍三

 先日、内視鏡大腸検査を受けました。
 以前から家族からは検査を受けることを強く促されていましたが、内視鏡をお尻から挿入して検査することに不安があり、何かと理由をつけて検査を受けていませんでした。すると、今年7月に健康診断で大腸の精密検査が必要と指摘があったため、10月に渋々検査をした訳です。
 検査の結果、小さいポリープ五つと中くらいのものが一つ見つかり、いずれも内視鏡で無事に切除することが出来ました。
 そのときお医者さんに「ポリープが内視鏡で切除出来る大きさでよかったね。もっと大きくなっていたら別の施術になるからね」と言われ、今日検査をして本当によかったと、ホッとしたのを覚えています。
 ポリープが出来ると、どんどん成長するそうです。小さいうちだと内視鏡で切除が出来ます。検査時間は30分程度で、ポリープを切除するときに痛みはなく、爪を切っても痛くないのと同じ感覚です。昔だと開腹手術になるのでしょうが、医療の発達はすごいですね。私の場合は、中くらいのポリープを切除しましたので、検査後1週間の食事制限がありました。年齢に応じた検査を受けることは、とても大切だと思った次第です。
 これから冬を迎えるにつれて、風邪やインフルエンザなどの病気が流行します。気を付けていても病気にかかることもよくあります。
 私は、病気になったときはいつも、人からいただく「おかげさま」の有り難さを感じます。家族は看病してくれて、病院ではお医者さんや看護師さんが治療をしてくれて、薬局では薬剤師さんが薬を出してくれます。このたびの検査についても、多くの人にお世話になりました。
 病気になったとき、良かったとはとても思えませんが、多くの人に支えられ、多くの「おかげさま」をいただいて生かされていることを強く感じさせられる機会になっています。
 そうは言っても、皆さま、健康にはくれぐれもご留意ください。