先日、「地域RSKスペシャルメッセージ」という番組で、「墓は消えるのか」と題して、墓じまいや墓などの将来的なあり方を特集していた。昨今、「墓じまい」ということが、社会の話題として世間を賑わせている。しかし、これらの事柄は、同時に日本人の生活の背景に、先達が精神的な支えとして伝え育み続けてきた先祖への敬いや葬送文化の衰退に繋がりかねない行為であると、その番組では警鐘を鳴らしていた。その番組の中で、日本で活動するイスラム教の兵庫県神戸市にある外国人墓地の状況を放映していた。イスラム教では、墓じまいという事柄が全く行われていないということである。それは、信者は血の繋がりが無くても皆が家族であり、よって無縁墓など元来存在しない、というのが理由である。血の繋がりが無くとも先祖を敬い、身内の墓はもちろんのこと、他人の墓参りや墓掃除もするのだという。
浄土真宗の開祖、親鸞聖人の語録を弟子がまとめた聞書「歎異抄」に、
一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり
という言葉がある。命あるものはすべてみな、これまで何度となく生まれ変り死に変りしてきた中で、父母であり、兄弟、姉妹であった、という意味でである。先の言葉は続けてこう述べられる。
いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候べきなり
この世の命を終え、浄土に往生してただちに仏となり、どの人も皆、救わなければならない、と。墓じまいという事は、時代の潮流が何においても加速する昨今、さまざまな事情において、社会が積極的に許容する行為なのかもしれない。しかし縁ある人々を救うと仏さまとなられた先祖が、最愛の人を思う眼差しで見守りながら、「ありのままのあなたを救う」と常に願われている。来る時代の流れに呼応する時、仏である先祖を敬う心、その救いのはたらきに感謝する心を忘れず、浄土真宗のみ教えをしっかりと人生の支えとしてほしい。