中道の教え
住職 釋 龍生
去年、岡山県は平成30年7月豪雨という県内では未曾有の大災害に見舞われた。今年も、日本のあらゆる場所で大きな規模の災害が発生している。これら大災害が猛威を振るう日本全国の現状において、国内に安全と言える場所はもはや皆無であろう。あらゆる災害がいつ起きてもおかしくないことを前提に、日々の生活を考えなければならないと実感する。
大災害が頻発する原因としては、地球の温暖化やその温暖化に伴う気候変動が挙げられる。これも人間優先の社会の典型、経済的豊かさを追求・優先するライフスタイルが、現在の社会に目覚ましい繁栄や恩恵をもたらす一方で、地球本来のあるべき姿、自然環境を破壊した「附(つ)け」が回ってきているのだろう。将来の地球のあり方を考える時、その先行きに不安を感じずにはいられない。今からでも何とかしなければと切に思う。
何年か前に、ジャーナリストの稲垣えみ子さんが、テレビ番組で述べられていたメッセージを思い出す。
「私たちは何かを手に入れて幸せになろうとしている。モノ、お金、そして健康。でも手に入らなければ不幸なのか。例えば病人は不幸なのか。だとすれば、私たちは皆、不幸にまみれて一生を終わるのだ。だって病と死からは誰も逃れられないもの。でも本当は病人だって、モノ、お金がなくたって幸せになれるはず。肝心なのは何かを手に入れることじゃない。ハッピーになること。「ある」幸せがあるなら、「ない」幸せがあっていいじゃない。そう考えると意外なほど心は浮き立つ。」
お釈迦さまは、お悟りを開かれた時、最初の説法として、かつて一緒に修行をした仲間に、中道(ちゅうどう)の教えをお説きになった。
中道の教えとはどちらにも偏らないという教えである。例えば、欲望をどこまでも貪欲に追求する生き方と、欲を克服するために厳しい苦行を実践する生き方、この2 つの生き方に対して、真実を求める上でどちらが正しい生き方であるかと言えば、どちらも正しい生き方ではない。正しい生き方は、そのどちらにも偏ること無く、あらゆる事柄が生じる原因と条件を踏まえながら、八正道(はっしょうどう)という教えに基づいて、戒律を守り、正しく生きることであるとお説きになる。
お釈迦さまの説く中道の教えとは、稲垣さんの言葉にある「ある幸せがあるなら、ない幸せがあっていいじゃない、肝心なのは何かを手に入れることじゃない。ハッピーになること。」つまり、地球上の全ての生きとし生けるものが分け隔て無く「ハッピー」になることではないだろうか。
地球上が、人間中心の環境に変化する昨今、どこまでも偏らず、共存、共栄を目標とした全ての「ハッピー」を、対岸の火事とせずに本気で考える時である。
参考:「御堂さん」2013年2月号
専教寺が放送されます!
坊守 佐々木 ひろみ
先日、矢掛放送の取材がありました。それは、「高梁川流域デジタルアーカイブ事業」というもので、高梁川流域の文化や歴史を映像で記録・保存しようという企画です。その事業の1つとして、ここ専教寺の臥龍松が選ばれ、記録に残してもらえることになりました。
最近、矢掛町の観光客増加に伴って、専教寺の臥龍松を見に来られる方もかなり増えています。玄関を出ると境内に団体さん・・・ということもよくあります。ですから取材依頼の連絡をいただいた時は、臥龍松を知っている方にも知らない方にも、臥龍松についてより知ってもらうために、嬉しい企画だなと思い、ありがたく取材を受けました。
さて、放送や記録、保存されるとなると、正確なことを伝えないといけません。住職とともに、お寺に残る記録や矢掛町史など、家にある資料らしきものを集めなければ、と頑張りましたが、すべて出してみても役に立ちそうな情報は少ししかありませんでした。わたしたちが把握している歴史を再確認するような形になりましたが、専教寺がいつ、だれに、なぜ建てられたかということは正しく確認できました。ただ、臥龍松がいつ植えられたかという資料はなく、おそらく専教寺が建てられたのと同時期と考えると、現在の看板にも書かれているように約300年~ 400年前になるだろうとお伝えするしかありませんでした。このように、歴史に関しては、限られた情報しかないのですが、現在、たくさんの方に見守られ、大切にしてもらっているという事実があります。ふだん、門徒さんが来られた時には、松の葉の色を心配してくださる方もおられれば、初めて見る人に対して誇らしげに説明してくださる方もおられます。また、懇志という形で松の維持にご協力くださっている方もたくさんおられます。
そして、取材に来られた頃は、ちょうど年に一度の、松の剪定の時期でした。丁寧に手入れされた美しい臥龍松の姿が、映像に収められました。また、上空から松を撮影してもらうこともできました。もちろん、インタビューもありました。総代長の古城さん、植木屋さん、そして住職です。
今回取材していただいた内容が、編集されてどのような映像になるのか楽しみです。放送される時(※) には、皆さんもぜひご覧ください。最後に、何度も足を運んで取材してくださった矢掛放送アナウンサーの渡邉さん、カメラマンの角川さん、ありがとうございました。
※収録の模様は、令和2年4月以降に、
- 倉敷市公式You Tube「高梁川流域デジタルアーカイブ」
- 高梁川流域ケーブルテレビ局(各局)
で放送される予定です。
尊い復興の姿
前坊守 佐々木 京子
7月7日を迎えて、1年前の想像を絶する平成30年7月豪雨の事が次々と思い起こされた。
災害に遭われた方々の事は、これまで常に、心の中にあった。お一人おひとりのお顔が目に浮かび、どうしていらっしゃるかと思ってきた。住職が尋ね回って、ご門徒の方々の無事が確認された時は、ほっとした。
それからは、各方面から電話がかかりはじめた。教区選出の宗会議員さんは「必要な救援物資を知らせて下さい。」と。里組組長さんからは「被害状況を知らせるように」と。被災者がいろんな所に避難されていたので、この状況把握はかなりの日数がかかった。西本願寺の宗務所からは、被災者の要請に応じて、宗務員さんや僧侶がボランテイアに駆けつけて下さった。炎天下での作業に、被災された方は「助けられ勇気づけられました。」と感謝されながら、片付けに取り組まれた。
苛酷な片付けが進む中で、流失したり、泥まみれになった仏壇、ご本尊、過去帳、仏具の取り扱いを、お尋ねになる方が増えてきた。そして、そんなご門徒の希望者には、本山から阿弥陀様のご絵像が下付された。ご絵像を安置する台とお給仕の仏具は住職がお贈りした。「うれしいねえ。手を合わせる仏様をお迎えすることができた。と家族で喜び合いました。」と伝えて下さる方があり、私も、その喜びを共にさせていただいた。解体、新築、改築が進んだお宅からは、「お仏壇が入りました。」と入仏法要のご依頼があり、喜びを分けていただいている。
み仏の誓いを信じ尊いみ名をとなえつつ強く明るく生き抜きます。(浄土真宗の生活信条)
に包まれた日暮らしをされていると拝察した。
本山からは、床上浸水の被害者に義援金が届けられた。「有り難く、元気がでます。」と、皆さん悲嘆の底から復興に向けて、立ち上がられた。
「うちばかりじゃない。まわりみんなが同じですから。」「ほんとうに、多くの方によくしていただきました。」この言葉が必ず返ってくる町である。
三十数軒のうち、ほとんどが帰ってこられるという町内会の話も聞いた。「この町内の人がみんないい人だから、ここへ住みたいんよ。」と帰ってこられるそうである。
み仏の恵みを喜び互いにうやまい助けあい社会のために尽します。(浄土真宗の生活信条)
の暮らしがここにもあった。
「私らはいつでも買える。被災された人はそれができんのじゃから、これを届けてもらいたい。」専教寺のご門徒は物資を持ち寄ってこう言われた。心通う支援活動がここにもあった。
大惨事の中で、支援や絆を通して、人と人のつながりで生かされている有り難さを教えられた。帰りたくなる、帰る所がある温かい町が復興している。これからも、ご苦労の日々は続くと思うが、心を通わせ合い、出会えたご縁を大切に一日一日を生きて行きたいと思う。
被災された方々のご尽力に敬服いたし、皆様から教わったことを、心に刻み歩んでまいりたい。
2019年秋号 専教寺寺報65号PDF(3MB)のダウンロードはこちらから