倶会一処 お浄土でまた必ず
住職 釋 龍生
私や弟が小さい頃にとてもお世話になったおばが、往生の素懐を遂げた。知らせを受けたのは2月のことだった。去年の前住職に続いて、私たちのことを親身に案じてくださった方が、また一人と、お浄土に還っていく。寂しい限りである。先号にて、おじとおばのことに触れたことがある。この度、哀悼と感謝の思いを込めて、その折の文を自身の教示として、改めて記したい。
私は弟と二人兄弟である。亡くなったおじとおばとは、血の繋がりこそ無かったが、子供がいなかったこともあってか、私と弟を我が子のようにかわいがってくれた。そして寺と仕事を両立する共働きの両親に代わり、夏休みや冬休みになると、いろいろな所に遊びに連れて行ってくれた。生まれて初めて新幹線に乗ったのもおじとおばと一緒だった。
そんなおじの職業は、医者だった。
小学生の夏休み、山陰の温泉に、泊まりがけで海水浴に出かけた折のことである。その道中でおじが、どんな話の流れであったかは定かでは無いが、次のように語ってくれた。「人間は永遠には生きることはできないんだよ。人間には寿命というものがあってね、この世に生まれてきたからには、必ず死ぬんだ、これはみんな同じなんだよ。」と。
そのとき私は、夏休みの楽しい旅行の最中ということもあって、ただ楽しさに心を弾ませていた。しかし「人は必ず死ぬ」というおじの言葉を聞いた瞬間、胸の奥に突如、湧き上がるような恐れが広がった。私は思わず、「死ぬのは怖い。死なない方法はないの。死にたくないよ」と、おじに縋るように尋ねた。するとおじは、穏やかな口調でこう語ってくれた。「それは考えてもきりがないことだ。それよりも、今を一生懸命に生きなさい。生きることを考えなさい。」
おじがどのような思いで、幼い私に死生観を語ってくれたのか。今となっては、確かめる術はない。しかし私は人生を歩んでいく上でどうあがいても逃れられない現実、小学生にはあまりにも重いその事実を、生まれて初めて突きつけられたものだから、この時のことを今でもはっきりと記憶している。
おじは医師という職業柄、また戦争への出征を経験した世代でもあり、多くの命の終わりと向き合い、幾度となく別れを見送ってきたのだと思う。そのような人生の中で、人の命は誰であれ、いつ、どこで終わりを迎えるか分からないという現実を、身をもって深く受け止めていたのだろう。生老病死という人間の避け難い運命を、医師として、より切実に、そして確かなものとして実感していたに違いない。だからこそ、幼かった私に対しても、これからの人生を歩んでいく上での大切なこととして、おじ自身の中で、熟していた思いを、早いうちにと語ってくれたのではないかと思う。
蓮如聖人の「御文章」の中、聖人一流章に、
仏のかたより往生は治定せしめたまふという言葉がある。この言葉は、私たちはすでにアミダさまの願いとそのおはたらきによって、アミダさまの方から往生を定めてくださる、という意味である。すなわち、私たちは常にアミダさまの救いおはたらきの只中に包まれている存在である。しかしながらそんなアミダさまの思いを他所に、私たちは、都合のよいものとそうでないものとを選り分け、好き嫌いにとらわれて、どこまでも止めどなく自分に都合よく物事が運ぶことを望みながら一生を終える。親鸞聖人(以下、宗祖)は、そんな人間の現実の姿を、煩悩具足の凡夫と示された。そんな凡夫であるがゆえに、自己中心的な思いから到底離れることができず、日々の暮らしの中でも、アミダさまのご恩を忘れるどころか、あえて背を向け続けながら人生を送っている。それでもなおアミダさまは、私たちを片時も見捨てることなく、怨親平等の心をもって、わがひとり子としてそのまま抱きとめ、必ず救うとお約束くださっている。まさに、仏のかたより、である。 私たちは誰もが、例外なく生老病死の道を辿り、老少不定の人生を歩んでいく。これは人生を歩んでいく上で、決して逃れることのできない現実である。しかしながら、アミダさまは、私たちがやがて生死を離れ、お浄土に生まれて、仏としての永遠のいのちをいただくことを、すでにお約束くださっている。この世に生を受けた尊いいのちを全うすることが、尊いことであるならば、やがて死を迎えるということもまた、同じく尊いこととして受けとめていく。そこに浄土真宗のみ教えに出遇うということの大切な意味があるのではないだろうか。 医師であったおじが、幼い私に人生を歩む上で、自身の熟成した大切な教示とも言うべき事柄として語ってくれたこと。そして宗祖や先師方が、私に生きる拠りどころとして、お伝えくださった浄土真宗のみ教え。それらはいま、私にとって重要なターニングポイントとなる教示であり、かけがえのない宝である。