往生によせて

住職 釋 龍生

 昨年の11月、私の父であり専教寺の前住職が、仏さまとしての新たな命をいただくべく、阿弥陀さまのお浄土へ参った。数え87歳の今生の歩みであった。近年は認知症を発症して、今生での生涯を終わる半年ほどは、病院で寝たきりの状態であった。
 前住職との思い出と言えば、浄土真宗の僧侶としての私が今ここに存在する上での、ターニングポイントとなる印象深い思い出がある。
 私は10代の頃、お寺に生まれたことを嫌っていた。お寺を継ぐことにも強い抵抗を抱いていた。寺族の子息であれば、思春期や青年期を迎えるにあたり、少なからず心に抱く者がいるのではないだろうか。そして20代前半の頃、一時ではあるが自らの意思でお寺を離れて生活していた。しかし若く稚拙な考えで、永続的に身を立てていけるほど社会は甘くはなかった。振り返れば、当時の生活の何から何まで若気の至りであった。その全てがおままごとの延長と気づいた時、それまで身を置いていた環境から逃げ出すべく、衝動的に両親に電話をかけたことを今でもよく覚えている。「僧侶になりたい、お寺を継ぎたい」、両親からすれば、「自分の考えで勝手にお寺を飛び出して、今さら何をわがままな」、と叱責してもおかしくない状況である。お寺に戻り、幼くもこれまでの人生を振り返りながら、言い訳がましいわがまま息子の身勝手な言葉を、父は叱責するでもなく最後まで口を挟まずに聞いてくれた。それどころか私の言葉や人生そのものを黙って受け止めて、ある意味背負ってくれたのである。
 晩年は、同居する親子という関係もあって、積極的に会話をするということは少なくなってはいた。しかしながら人生を歩む中で、浄土真宗の僧侶として、また浄土真宗のみ教えを仰ぐものとしてお育ての身にあるのは、ひとえに父・両親の導き無くしてはあり得ない。そしてそのことは未だに住職として、至らない日々を右往左往しながら積み重ねていく中で、どんな状況にあろうと、何をしていようと、心の片隅を一時も離れることはない。
 「歎異抄」の第五条に、

ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便をもってまず有縁を度すべきなり

という言葉がある。この言葉は、自力にとらわれた心を捨て、速やかに浄土に往生してさとりを開いたなら、迷いの世界にさまざまな生を受け、どのような苦しみの中にあろうとも、自由自在で不可思議なはたらきにより、何よりもまず縁のある人々を救うことができる、という意味である。父は今、阿弥陀さまのお浄土で、家族や身内はもとより、生前ご縁を結んでくださった多くの方々に寄り添って、お念仏が身に沁み入るよう、微笑みながら見守ってくれている。私も今生の縁が尽きれば、必ず阿弥陀さまのお浄土へ参らせていただく。その時まで、救いのはたらきという温もりを、南無阿弥陀仏というみ名に込めて、届け続けるその手の中で、二心なくお念仏をいただきながら、ただただこの身を委ねていたい。遠い日に、父と遊んだ思い出を大切にしながら。

坊守 佐々木 ひろみ

 昨年は大変お世話になりました
 本年もよろしくお願いいたします

 昨年は、専教寺にとって大きなことがありました。11月14日、前住職であります 専法院釋龍範(佐々木 文麿)がお浄土へ往生しました。これまでもいろいろと体調を崩すことはありましたが、1年半ほど前に入院してからも、何度か肺炎を起こしていました。そのたびに、病院で手厚く治療していただいたおかげで、もち直しましたので、家族も「87歳という年齢で、よく頑張ったね」と話しています。寂しくなりましたが、これからも残された家族は、お互いに手を取り合って、力を合わせていこうと思います。
 これまで、皆様には、前住職が大変お世話になり、ありがとうございました。この場を借りて、これまでのご恩にお礼申し上げます。
 昨年の11月には、親族のみの密葬をおつとめしました。2月2日には、門信徒葬を予定しております。ご都合がつかれましたら、お参りいただけるとありがたいです。