信の一念

住職 釋 龍生

 今年の3月に、日本の音楽の巨匠、坂本龍一氏がお浄土へ還られた。満で71歳。
 坂本氏の音楽と私の出会いは、小学校5年生の頃だった。当時、私はスポーツ少年団でソフトボールをしており、毎週日曜日の午前中が練習日だった。ある練習日の夏の炎天下、小学校の校庭のトラックを、何周もトレーニングとして走った。コーチもただ走らせるのはかわいそうと、自身が当時好きだったのだろう、ある音楽を繰り返し流し続けた。それが坂本氏の参加する音楽ユニット、YMOの「RYDEEN」(ライディーン)という曲である。この曲は、テンポがよく、ランニングには向いていると思う。ただ炎天下でも、当時は練習途中の水分補給はご法度、おまけにこの1曲の繰り返しだったので、小学5年生の私には、地獄から流れてくる音楽にしか聞こえない、というのが正直な気持ちだった。そんな夏の思い出もあり、10代の頃は、坂本氏やYMOの曲をあまり聴かなかった。私が坂本氏やYMOの曲にはまったのは、20代の半ばである。あらためてその音楽的才能に心揺さぶられたのは、映画「戦場のメリークリスマス」のテーマソング、「Merry Christmas Mr. Lawrence」(メリークリスマス ミスターローレンス)。坂本氏のベストアルバムを買って、あらためてこの曲を聴いたのは真冬の2月、今にも舞い込んできそうなほどの粉雪が、まるで曲の旋律に合わせるかのように、窓の外で乱舞していたのを記憶している。今でも坂本氏やYMOのアルバムは、いつも車に積んでいて、ドライブのお供になっている。
 そんな坂本氏のインダビューが、ある雑誌に掲載されていた。その中に、

音楽は目に見えない。だから隣のビルがなくなったといった、風景の変化のようには認識されない。その代わりいつの間にか、人の心のあり方も変えている、そんな魔法のような媒体なのである。

と述べていた。
 私は、坂本氏のインタビューの言葉に、浄土真宗の教えそのものを重ね合わせる。よくお寺での研修や法話で、「私は信心を得ていますか」また「信心を得ることができますか」ということを問われるご門徒がおられる、という話を聞く。親鸞聖人は、人間のことや自らのこと、またこの世の中を「歎異抄」の中で、

煩惱具足の凡夫、火宅无常の世界はよろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、たゞ念佛のみぞまことにておはします

と表現される。これは、
 わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまち移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである。という意味である。つまり「信心を得ているのか」とか、「信心を得ることができるか」ということは、私たち煩悩具足の凡夫が、自覚して分かるものではなく、阿弥陀さまにしか分からない。その阿弥陀さまが、私たち生きとし生けるものを救うと誓われて、完成された真実のはたらき、南無阿弥陀仏というお念仏を、常に届けてくださっている。その南無阿弥陀仏に込められた真のお心を、なんまんだぶつと、二心なく、素直にいただくのが浄土真宗である。阿弥陀さまが五劫の間、思惟された私たちへの渾身の願い(ご本願)に触れれば、隣のビルがなくなったといった、風景の変化のようには認識されず、目には見えないけれども、いつのまにか人の心のあり方や振る舞いも、好ましく変わっている。まさにこのことが「信心いただく」ということであろう。
 「親鸞聖人にとって阿弥陀仏とは、名のりを聞いてお会いする方で、見る対象ではなかったということです。」恩師の言葉に心揺さぶられる。

清掃奉仕に感謝

坊守 佐々木 ひろみ

 先日の報恩講前清掃奉仕には、たくさんの方に来ていただき、境内や本堂の仏具が大変きれいになりました。ありがとうございました。
 以前から、寺報に「境内の池の掃除の様子」の写真を載せてきました。毎年2回、総代さんが集まってくださり、池の清掃をしてくださいます。池の水を全部抜いて、底にたまった藻や枯葉を取り除き、デッキブラシやほうきで汚れを落とす作業をしてくださいます。重労働なのですが、とても手際よく、きれいにしてくださっています。
 それに加えて、昨年から墓地の清掃も月1回のペースでしてくださっています。墓地の通路だけでも意外と広く、夏場は特に草がよく生えます。草枯らしを撒けばいいと思われるかもしれませんが、実は、境内の臥龍松の根が墓地のところまで伸びているため、そういうわけにはいかないのです。ですから、暑い季節になると、ひときわ大変なのですが、朝早くから集合して、黙々と草を刈ったり、抜いたりして、参道を整えてくださっています。
 総代さん方には、お寺の運営に関わる相談、永代経法要や報恩講の準備や片付けなどでも日頃からお世話になっています。これからもよろしくお願いします。

菊作り菊見るときはただの人

門徒 楢崎 裕志

「菊作りは1年間」と言われるようにきれいな花を咲かせるためには、1年中いろんな準備・作業がある。表向きは妻と私の共同作業の菊作りだが、その中身はというと???
 私が関わる菊作りの作業は、菊がきれいな花を咲かせている10月頃から次の年の準備が始まる。腐葉土を作るための落ち葉集めだ。90Lの袋20 〜25個くらいが必要。どんな葉っぱでもというわけではなく、水はけがよく保水力のある葉を求めてあちこちに行く。桜の葉を集める時などは苦労する。場所により木により散る時期が違い、風が強かったりするとすぐに飛び散ってしまう。雨の後は葉っぱが濡れていて重くていやだ。集めるのに良い条件の日は2〜3日だけ。できるだけ家から近い所でと思うがなかなか思うようには集めることができないので、7㎞ほど離れている地蔵岩のあるヤッホー公園まで行くこともある。桜以外の葉は主には矢掛運動公園で集める。ここは私のウオーキングコースなので毎日落ち葉の様子を見ることができる。ちょうどよい頃になったら運動公園を管理している方に、「これから2週間ほどは落ち葉を片付けないでください。私が片付けるので」とお願いして集めている。
 こうして集めた落ち葉と油粕や鶏糞などにボカシを混ぜて、深さ1m以上直径2m余りの穴に入れたっぷり水をかけ、次の年の5月頃までに腐葉土を作る。その間に3〜4回混ぜ返すのだがこれは私にとっては重労働だ。このような作業までは妻と衝突することはない。土作りは、妻にはほとんどできないので、私に任すしかないからだ。
 その間、妻は花が終わった菊の株に肥しをやるなどして大切に管理し、4月半ば頃からは芽を出してきた菊のさし芽の準備を始める。芽の伸び具合や天候を見ながら。睡眠大好き昼寝大好きで、朝もあまり強くない妻がこの時だけは朝5時頃にはサッと目覚めて作業をしている。どのようにしているか私は知らない。準備していた鹿沼土に種類ごとにさし芽をし、雨や太陽光の調節をしながら育てている。それだけ手をかけて育ててもうまく芽が出なかったり、枯れてしまったりすることもある。そんな時「なぜ?今までと同じようにしたのに」とこぼしているが、私は何も言わないし言えない。何も知らないし何も分からないから。
 元気に育った芽を1本ずつポットに植えてしばらく育て、それを5号鉢に植え替えて育てるのだが、この間にも枯れてしまうことがある。何種類もの菊を育てているのだが、なくなってしまう種類もあるようだ。妻はそれを非常に残念がるが、私は「同じ色のがあるのだから」と気にならない。色が同じなら種類によっての違いなど分からないのだから。この時期の妻は、菊のことしか目に入らず、頭にないのかと思うほどだ。その情熱と観察力と気配りには感服するばかり。
 でもこの頃から、妻との間で衝突が起こることが増えてくる。一番よく起こるのは妻との意見・考え方の違いからくる衝突。妻は菊作りの会に入っていたり、本を読んだり、専門店からのチラシを見たりして知識は豊富。そうした情報から「こうしなければきれいな花は咲かない」と考え、肥しや消毒も決められた通りにしようとする。菊の種類についても私の知識は、色は「赤色・黄色・白色」花の形も「厚物・管・嵯峨菊」程度。妻は色や形を菊の名前で判別する。「右近・越山・強大・大臣・綾姫・花百合・福徳・大宇宙・北斗の星・・・」まだまだある。私には違いが分からないが、妻にはそれぞれの違いがわかるようだ。これだけ認識が違うのだから、妻の言うようにしていれば衝突は起こらないのだが、なぜかしばしば衝突する。それは時間がかかる作業や、妻には少し無理な力仕事は私がするしかないからだ。また半年以上かけて腐葉土を作ったという自負もあるのかな?
 鉢に植えた苗が成長していくのに合わせて支柱に結わえたり、消毒したり輪台をつけたりするのは私の仕事。私は何事も効率よく片付けたいので自己流で作業する。そうすると意見の相違が出てくる。特に私が良かれと思って作業したすぐ後に、「そうするのではないのに」と指摘されると「そんなに言うのならもう一切菊については何もしない!」と言うことが1年のうちに1〜2回ある。妻は腰に持病があり、年に数回腰が痛くなり、整体に通ったりお灸をしたりして、自分なりに気を付けてはいるが、菊のこととなると重い鉢を運んだり、何時間も同じ姿勢で作業をしてあちこちの痛みを訴える。そうした妻のことを分かっていながら「もう何もしない」というような言葉が出るのである。
 こうしたことを繰り返しながら毎年菊を作っているのだから不思議。ただその不思議に対する答えは自分の中でははっきりしている。それは菊を通しての人との繋がり!1年間手をかけて咲かせた菊、切り花は近所の人だけでなく家族が職場に持って行ったり、孫が学校にも持って行ったりする。矢掛の商店街のお店にも配り、矢掛に来ている観光客に差し上げることもある。差し上げる人は延べ百人くらいかな?
 それ以外でも鉢植えの菊はいろんな人のお世話になっている。咲いた花は雨にあたるとすぐに傷むので雨のあたらない場所に置いてやりたい。近所の家の軒下に置かせてもらい「水だけやってください」とお願いしたり、商店街で親しくお付き合いしている店にも置かせてもらったりしている。家族や知り合いの勤める職場や、孫の行く学校やこども園にも置かせてもらう。それ以外にも矢掛の観光案内所や菩提寺である専教寺、そしてかかりつけ医など無理を頼めるところあちこちにお願いしている。置かせてもらった菊は、時々様子を見に行き、傷んできたらきれいに咲いている鉢と交換する。花が咲いている鉢は運ぶのが大変。運ぶ途中風に当たると花が痛むので、風が当たらないで菊の鉢を乗せることができる車にしている。一番遠くは30㎞ほど離れた病院まで運んでいる。息子の嫁が勤めていて、たまたま小さい鉢を持って行ったら、病院の方が非常に喜んで下さり、「来年もお願いします」と言われ、嬉しくなって毎年置かせてもらっている。お願いしている家や店、そして施設は30カ所を越え、鉢の数は100鉢近く。こうした菊を通しての付き合いのおかげで人の輪が広がる。矢掛に来た観光客で菊に関心・興味がある方がお店に置いている菊を見て、「この菊がほしい」と話されたりするとお店の人がわざわざ連絡してくださり花をもらいに来られたり、「この花の株がほしい」と言われ株分けをする頃に取に来られたりする。こうした方との語らいは大いに盛り上がる。特に妻は好きな花の話なので、お互いに苗の交換などの付き合いをしている。
 また我が家の畑は花ばかりで野菜類は全くない。それを知っている方からは旬の野菜がよく届く。菊が野菜に化けてくるようだ。
 こうしたことを繰り返しながら、これから何年菊作りを続けることが出来るだろうかと思う。私か妻のどちらかができなくなったらもう菊作りはできない。やはり我が家の菊作りは、衝突を繰り返しても妻と私の共同作業!