紅茶をたしなむということ

住職 釋 龍生

 単発のドラマから数えて約20年、テレビ朝日系列で放送されている、俳優の水谷豊さん主演の刑事ドラマ「相棒」。今年で21作目の放送になるという。私も毎年、秋になると、心躍らせて待ちわびるほど大好きなテレビドラマである。水谷さん扮する警視庁特命係の杉下右京警部が、部下の刑事とタッグを組み、冷静かつ鋭い洞察力とクレバーな推理力で、数々の難事件を解決していく。今回から久々に初代相棒だった亀山薫こと、俳優の寺脇康文さんと再びコンビを組む。これからのドラマの展開がとても楽しみだ。
 杉下右京といえば、自身のトレードマークとも言える紅茶を淹れてたしなむシーンが、ほぼ毎回ドラマに登場する。ティーポットを高く掲げ、上下させながら熱い紅茶をティーカップに垂直に注ぐ 。約20年もの間、役柄として紅茶を淹れ続ける水谷さんのその演技は、職人のように実にさりげなく、しなやかである。
 紅茶と言えば、ある本で、紅茶研究家の磯淵猛氏のコラムを読んだ。磯淵氏によれば、紅茶をたしなむということには、ただお茶という水と茶葉を飲む以上の価値が備わっているという。紅茶をおいしくしてくれるのは、家族や友人たちとみんなでわいわい話をするという楽しさがある、ということ。また紅茶の歴史を知って、紅茶を作ってきた人たちのことを思って、たしなんでいる一杯の紅茶ができるまでのドラマに思いを馳せる素晴らしさがある、と述べている。
 「家族や友人たちとみんなでわいわい話をするという楽しさ」として、本願寺第八代門主、中興の祖と言われる蓮如上人は、自身の聞書である「蓮如上人御一代記聞書」の中で、

信・不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。物を申せば心底もきこえ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せと仰せられ候ふ。

とおっしゃられる。この意味は、蓮如上人は、「信心を得たものも得ていないものも、ともかくものをいいなさい。そうすれば、心の奥で思っていることもよくわかるし、また、間違って受けとめたことも人に直してもらえる。だから、すすんでものをいいなさい」と仰せになりました、ということである。
 部屋で一人で紅茶のカップをただ傾けるのも一興。しかしみんなで紅茶をたしなむことで、世間話はもちろんのこと、浄土真宗のみ教えの話も、心が解放されて自然と楽しく会話がはずむ。そのことがより一層、紅茶をおいしくさせるのだろう。
 「一杯の紅茶ができるまでのドラマに思いを馳せる」ことについて磯淵氏は、現代の紅茶を作っている人々のこと、スリランカの山の上や、アッサムの広大な茶畑の、茶の水平線の中で、土地の人が、機械なんかではなく、やっぱり手で摘んでいる。そこで紅茶が生まれて、さまざまな手をつたってここまできたことを考えると、素晴らしいものを飲んでいると感じる、と述べる。この言葉は、誰もが自分の見えないところや知らないところで、図らずとも人生に関わる大勢の人々や生きとし生けるものに支えられながら生かされている、という仏教の縁起をあらわす。
 総じて紅茶をたしなむということは、同時に仏さまや先達が、阿弥陀さまのおはたらきを通して伝えてくれた仏教、浄土真宗のみ教えのエッセンスをいかに味わうか、ということを手伝ってくれるためのツールのようである。長くコロナ禍が続く昨今、お寺に集い、わいわいと世間話やら浄土真宗のみ教えの話をすることがほとんどできない。コロナ禍が明けて、昔のように門信徒がお寺に自由に集い、茶話会や行事、法要を安心しておつとめできる日、皆でお念仏をいただく日が一日も早く戻ることを切に願う。
 最後にある絵手紙に添えられた言葉を紹介する。

恐怖に震えた雨の朝、屋根の上で救助された。
見知らぬ土地での仮住まい。
数ヶ月後、最愛の主人にも旅立たれ、ポッカリ空いた心には、涙だけがあふれるばかり。
そんな時、友達からお茶の誘いのベルが鳴った。
何気ない言葉に、一筋の暖かい光を感じた。
ありがとう。
まだ涙のこぼれる日もあるけど、立ち上がるから。

絵本との出会い

坊守 佐々木 ひろみ 

 本堂には、何冊かの絵本を置いた本棚があります。先日、その中にある『つららのぼうや』という絵本を手に取ってみました。
 寒い朝、合掌作りの軒下にぴかっと生まれたつららのぼうや。かわいいお話だなと思って読み進めていましたが、命という大きなテーマで描かれていることに気付きました。いつか死んでしまうことに恐怖を感じるぼうやに、トチの木が「屋根から落ちたって雪といっしょに水になるだけだ。生まれ変わるだけさ。」「水になったり水蒸気になったり、雨や雪になったりしてくれるから木や草も人間も生きていけるのだ。おまえたちのおかげで、生きものみんなが生きていける。」と話してくれます。このことは、みんな一人で生きているわけではない、だれもがお互いに支え合いながら生きていると、仏教でいう縁起ということをを教えてくれます。
 この絵本を読んで、ある絵本を思い出し、再び読んでみました。それは、20年ほど前にベストセラーとなった『葉っぱのフレディ』という本です。フレディは、いつか死んでしまうことを怖がります。緑色の葉っぱは、やがて紅葉し、枯れて地面に落ちていきました。しかし、枯れ葉のフレディは、雪解け水にまじり、土に溶け込んで木を育てる力になります。「フレディは、生まれたところにかえった」「いのちは、目には見えないところで新しい葉っぱを生み出そうと準備をしている」と表現されていました。
 初めて『葉っぱのフレディ』を読んだのは、滋賀県で勤めていた頃の職場の先輩が、「この本、いろいろ考えさせられたわ。よかったで、読んでみ。」と話してくれたのがきっかけでした。その時は、買わずに目を通しただけでしたが、今、家にはこの本があります。その先輩が4年前に40代でお浄土に還られました。その一周忌に「仕事場にいつも大事に置いていた本だから、同じものを皆さんにお配りすることにしました」と、奥様が送ってくださったのです。ですから、私にとって、この本の内容が仏さまになられた先輩と重なるのです。先輩は、面倒見がよく、多くのことを教えてくださいました。また、相談したり協力したり、時には大笑いしたりしながら、共に楽しく仕事をしました。仏さまになられた今でも、とくに困難に直面したときに、「あの先輩とこんな話をしたな」「先輩ならどうするだろう」と考えることがあります。これが、仏さまとなられた先輩より仏縁をいただいている、ということでしょうか。
 つららや葉っぱは、自然界で生きとし生けるものの命となってつながっていきます。私にとっての先輩のように、会えなくなってしまっても、思い出は色あせず、心の中でいつも支えとなっています。きっと、仏さまとなって、いつも見守ってくださっているのではないでしょうか。「ぼくも浄土真宗やねん。いいよねえ。」と話された笑顔が思い出されます。

第26回 備後教区平和のつどいに参加して

令和4年10月21日(金) マービーふれあいセンター(倉敷市真備町)

門徒 佐藤 ゆかり

法要

 6人の僧侶による声明を聞きました。とても澄んだ響きに聞こえ、あらためて、「お経」は仏様を讃える讃美歌なのだと感じた。

講演

「ひろしま原爆被爆者の叫びー念仏者として-」 安芸教区明覚寺門徒総代 箕牧智之

 今、私たちは安らかに暮らしているが、ウクライナの人々は厳しい日々を送っている。その有様は戦中、戦後の我々の暮らしを思い出させる。
 私は1941年(昭和16年)12月8日、日本の真珠湾攻撃の翌年に東京板橋区で生まれた。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で家もなくなり、父の出生地の広島に疎開した。
 けれども、8月6日に原爆に遭う。家の前をボロボロの服を身に着けた人がぞろぞろと通って行く。その日、父は帰らず、8月7日に母と二人で父を捜して市内を歩いた。父は、2日も3日も帰らなかった。その年の冬、広島には珍しく雪が降った。子どもたちは降った雪を喜んで食べた。放射能をいっぱい含んだ雪だっただろう。
 被爆の2年後に一家で母の実家のある埼玉に行く。貧しい暮らしの連続で父は土木作業員、母は農家の手伝いをしていた。着るものはすべて母の手作り。小学校5年生の時、原因不明の大病をした。熱が下がらず、谷川の水を汲んでは額に当てる。そのころストレプトマイシンという薬があれば助かる、というのでありったけの工面をしてやっと手に入れて助かった。
 戦後、材料もない中で復興がすすんだ。孤児たちは外国人の靴磨きをして食いつないだ。米兵の妻がパンを与えても食べず「家で待っている妹に食べさせる」と言って鞄にしまった。また、駅で暮らしていた女の子3人に、通りがかりの人がサツマイモをくれた。女の子たちは「他人に盗られたらいけない」と隠れて食べた。物がなく人々の気持ちも荒んでいた。
 戦争と原爆で多くの人の命だけでなく、家族、家庭、生活、安心、希望、そういうものが無くなった。生き残った人々も放射能の被害で苦しんでいる。1946年、アメリカのビキニで原爆実験、1954年、水爆実験が行われ、被爆者たちは、二度と放射能の被害者を作らないようにと立ち上がって、原水爆禁止運動を始めた。
 人間が生まれ変われるものならば、亡くなった広島、長崎の被爆者の皆さんに、今の世の中を見せてあげたい。おいしいものを食べさせて、テレビを見せてあげたい。

感想

 戦中戦後の暮らしの厳しさは、私の祖父母、両親から聞いていた有様と重なった。いつも空腹だったこと、1日を過ごすのに精いっぱいで誰もが他人のことをかまったり考えたりできなかった、そいう中で、子どもたちは放っておかれた。より良く生きる術も気持ちも持てなかった。
 いつも戦争が起こると自分が起こした戦争ではないのに、子どもが犠牲になっていく。ウクライナのニュースを聞くたびに、無力感に襲われてしまう。

法話と閉会式の言葉

 箕牧先生は、アメリカで被爆体験を語る時には必ず、まず日本の真珠湾攻撃で多くの人が亡くなったことを、日本の過ちとして謝罪して話を始められる。
 「ごめんなさい」というのは、とても難しいことだ。
 親鸞聖人は、真宗の教えを説いた時に、中国のことを「大陸」と呼び、日本のことを「片州 かたすみ」と述べている。相手を敬うという仏の教えを実践し、仏教が伝来した土地を敬い称した。
 あなたの命は、あなたしか全うできない。あなたしか背負えない境遇をあなたは持っている。生きることは意味があること。それぞれが仏として生きる命をいただいている。
 原爆資料館を見学していると、若い人の「ヤバい」という声に、直視できない悲惨さを感じていることが分かった。この若い人たちを再び戦争に行かせてはならない。
 地球の環境や戦争の話をしていると、孫が「カブトムシもクワガタも死ぬん」と言った。その言葉から、この地球上の出来事は、人間のみではなく、地球全ての命が関わっていることを思い知った。

感想

 戦争の被害や戦後の苦しさは、親や周囲から聞いてはいたものの、テレビで放送されるウクライナのニュースで、本当に戦争のむごさや理不尽さを実感する。日本もわずか80年くらい前は戦争をしていたのだった。
 自分が生まれる前のことだから、知らない、責任がないと言えたらどんなに楽だろうか。
 前に、ご門主さまの「戦後50周年全戦没者総追悼法要 ご親教」を改めて読んで、過ちを認めるというお言葉の重さを、今までになくズシリと感じた。
 同時に、私は「良かった」と思った。過ちを認める、間違っていたら正していく、そこに救いを感じた。きちんと過ちを認めるからこそついていけると感じた。
 日常の生活では、理屈や感情が先に出てしまう。迷ったり惑ったり怒ったり、念仏もそこそこに暮らしている。それでも少しでも時々でも、顔をあげてみると、ご門主さまのお言葉が坂道の先を照らしているような気がする。