世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ

住職 釋 龍生

 3年目を迎える昨今のコロナ禍の現状に、世間がこれ以上は我慢の限界と業を煮やしたのでしょうか。新型コロナウイルスの感染が、未だに身近に見え隠れする中で、日本ではさまざまな規制が緩和されています。その規制緩和の一つとして、外国の旅行者の入国が解禁されました。それに先立って、世界経済フォーラムが発表した「観光魅力度ランキング」で、日本は1位を獲得したそうです。世界に名だたる観光国を抑えて世界一となったその理由として、ある新聞では、「新幹線や高速道路などの交通網の充実に加えて、治安の良さが評価された」と書かれています。加えて、以前に中国人通訳の方に聞いた話として、「清潔な道路や街並み、車のマナーを見せるだけでも、中国の人は感心して日本のおみやげにします」と。また「旅館や売店の人がみんな親切で、なぜ侵略戦争が起きたのかしら、と首をひねっていたそうだ」と述べていました。私は、日本という国の清潔さや治安の良さは、世界の先進国と比べても引けを取らないどころか、ずば抜けて秀でており、世界に誇れるレベルだと実感しています。先の旅行者が日本を訪れた時の感想は、日本への忖度なく、素直に感じたことではないでしょうか。なぜこのような国が、その昔に中国を侵略したのか、という疑問も含めて。
 親鸞聖人(以下、宗祖)の弟子の河和田の唯円房が、宗祖との会話を著した「歎異抄」の中で、宗祖は、私たちや生きとし生けるもののことを、煩悩具足の凡夫と表現されます。人間は生きている以上、誰でも例外無く三毒の煩悩(貪欲、瞋恚、愚癡)をその身にはらんでいます。ですから、「歎異抄」(十三条)に、
 わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじ とおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし
 また、
 さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし
と示されます。人は誰でも業縁が生じて、その機が熟せば、何をしでかすか分からない、というのが人間の本質です。私たちは、人生を歩む上で、いつ訪れるか分からない業縁と常に背中合わせで、いつ沸き起こるか分からない恐ろしい心をいつもはらんでいると、常に自覚しなければならないと思います。そしてそのような業縁が自分に熟せば、糸の切れた凧のように、いとも簡単に右にも左にも、しかも確実に流されます。阿弥陀さまは、そのような私たちだからこそ、常にあたたかな智慧と慈悲に包んで、救いのめあてとされています。また、私たちが今生に生かされ、お念仏に出遇うことで救われることに感謝して、お念仏をいただくことを願われています。現在の武力で一方的に現状を変更しようとしているロシア連邦のウクライナへの侵攻は、悲しくて愚かな行為です。私は仏教の精神に基づく、互いに礼儀を重んじ、思いやりや譲り合いの心を持って平穏に暮らすことのできる恒久的な平和が、全世界に訪れることを願うばかりです。
 世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ。

仏婦会員の皆様 いかがお過ごしでしょうか

会長 石井 町子

 今年こそは、お寺さんでお会いできるのではと心待ちにしていましたが、新型コロナもまだまだ収束しないまま現在に至っています。残念ですが、気を付けて待つしかありません。
 私ごとですが、写真の整理をと思い、アルバムを見ていましたら、昔の古びた白黒の写真が数枚出てきました。その中の古い1枚の写真に釘付けになりました。50年前位の息子たちと祖母の幸せいっぱいの笑顔がありました。何のわだかまりもなく、心の底からの笑い顔、本当に見ているだけで心が癒やされました。
 他国の戦争では、多くの大人はもちろん、あどけない子ども達が命を失っている現状を見るにつけ、悲しい思いがこみ上げてきました。早く元の生活に戻れるよう祈りたいです。
 何年前でしたか、専教寺さんで落語家の笑福亭仁智さんをお迎えして、落語を聞かせていただきました。その際にいただいた色紙の「月よりも花よりも なお美しい人の笑い顔」のことばが忘れられません。
 いつの日かきっと、ご門徒のみなさんと一緒に笑顔で話し合える日が来ることを信じつつ、お念仏の日々を送りましょう。

専教寺のお斎

坊守 佐々木 ひろみ

 専教寺の行事の門信徒参拝を、コロナ禍により中止するようになって、2年以上が経ちました。4月の永代経法要、11月の報恩講法要は、寺族のみでお勤めしています。その時期になると、いつも家族で話すのは、お斎のことです。「いつもならこの時期から仏婦の役員さんが集まって計画していたね。」とか、「お斎を作ってもらって、みなさんでいただけたのは、本当にありがたかったね。」などということです。専教寺の行事を思い起こすときには、食事の味が一緒に思い出されます。
 春の永代経法要のお斎は、ばら寿司を中心としたものです。秋の報恩講法要のお斎は、お赤飯に合わせて、煮物や白和え、玉子焼きなどが入ります。そのお斎作りに向けて、材料や分量の打ち合わせ、買い出し、下準備、そして当日の料理と盛りつけ、片付けなどを仏婦の方々がしてくださっています。 
 また、仏婦新春のつどいでは、お正月のお供えのお下がりとしてお餅をいただくのですが、その際、役員の方が、ぜんざいを作ってくださいます。そして、夏の子ども会では、子ども達が大好きなカレーライスを用意してくださいます。小さい子でも喜んでおかわりをする姿が見られました。
 3年前、(ちょうどコロナ禍に入る前)「いつも仏婦役員さんの長年の経験にお任せしているけれど、だれが参加しても分かるレシピのようなものを作っておこう」と思い、役員さんに聞きながら、報恩講法要のお斎作りの時間と手順を整理したものを作ってみました。書き上げてみると、全体を見通した上での完璧な下準備や、当日はさまざまなことを同時進行で上手に分担されていることなどに驚き、すばらしいと思いました。
 先日、仏婦の役員さんで、長くお斎作りに関わってくださっていた方と話す機会がありました。その方は、「お斎作りは楽しかった。買い物に行くのも、作るのも本当に楽しかった。」と懐かしみながら、話してくださいました。それを聞いて、同じく懐かしい気持ちになったのと、「楽しい」と思ってくださっていたことに安心しました。と言いますのも、大量の材料の買い出しを、高齢の役員の方々にしていただいているのが申し訳ないという気持ちと、何日も前から集まって相談したり、準備をしたりするのは、大変なことのほうが多いのではないかなと思っていたからです。参拝の皆さんが、おいしいと喜ばれるお斎が調えられる仏教婦人会のおもてなしの心を、ありがたく思います。
 改めて、仏教婦人会の活動に支えられていることを感じ、感謝いたします。
 そして、法要の門信徒参拝が再開し、皆様とお斎を味わえる日が早く来ることを、心から願っています。

『仏婦だより』の紙面に、季節の挿絵を入れさせていただいています。それらはすべて、門信徒の内村寿美子さんの作品です。内村さんは、絵手紙作りをされています。毎回、専教寺寺報や仏婦だよりの挿絵をお願いすると、快く受けてくださり、季節にあった素敵な絵を届けてくださいます。ありがとうございます。
 内村さんは、平成30年西日本豪雨で被災されました。つらく、大変な思いをされながら頑張ってこられました。そして、専教寺仏教婦人会から支援として送らせていただいたパーカーについてのお礼を、書いて送ってくださいました。
 会員の皆様、内村さん、改めてありがとうございました。