一 味 (いちみ) -もともと特別なオンリーワン-

住職 釋 龍生

 先日、ご門徒の葬儀があり、とある葬儀ホールで葬儀のおつとめをさせていただいた。その後、控室で着替えていた時、壁を伝うようにおぼろげに聞こえてきたピアノの生演奏の音。聞き覚えのある曲で、よく聞いてみたら、私の大好きな曲、「世界に一つだけの花」だった。この曲は、SMAPという平成の人気アイドルグループが歌い、当時のヒットチャートで1位を獲得した曲だ。私はこの曲の歌詞に大好きなフレーズがある。それは、「小さい花や大きな花、一つとして同じものはないから、ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」私はこの歌詞から、姿や形や考え方、価値観は違えども、そのままで無理せず、背伸びせず、共に個性を伸ばしながらこの世の中で仏法に生かされている歓びを味わう。この曲を聴くたびに、あらためて遇い難い仏法に遇わせていただいている有り難さを感じる。
 「読売新聞」に、「ゴルゴ13」の作者で、お浄土へ参られた劇画家(漫画家)のさいとう・たかを氏のことを書いたコラムが掲載されていた。さいとう氏は、漫画家の仕事を複数で分業して、その集合体を製作プロダクションという形で成立させた第一人者である。その製作プロダクションを起こす着想としては、機械の絵を誰よりもうまく描いた友人が、どうしても人物をうまく描くことができなくて、漫画家をあきらめたことによるという。さいとう氏は「絵が得意といっても人物、風景、機械と才能は色々です。私はよく『宝石だけを探さず、石を集めて宝石を作るべきだ』と関係者に話していたものです。」と述べられていた。
 「浄土三部経」の一つ、「仏説阿弥陀経」に、出てくる四色の蓮華、

 青色青光、黄色黄光、 赤色赤光、白色白光、 微妙香潔、云々。

 阿弥陀さまのお浄土に荘厳される宝池には、妙なる姿で清らかな香りをたたえる青、黄、赤、白色の四色の蓮華が浮かび、色は違えども共に光り、照らし合う。姿、形は違えどもありのままの姿で、全てが平等な存在として共に光り輝く世界がお浄土である、ということを示す。

 また、親鸞聖人のご和讃には、

 尽十方無礙光の
 大悲大願の海水に

 煩悩の衆流帰しぬれば
 智慧のうしほに一味なり

とある。このご和讃の意味は、阿弥陀さまの大いなる慈悲の本願の海に、あらゆる煩悩の川が流れこむと、智慧の海水と一つ味になる、である。それは、私たちが娑婆の終に、お念仏の功徳でお浄土へ参り、仏さまへと尊く仕上げていただくことで、石が集まり宝石となるように、一つ味、一味となるのである。
「馬鹿でもいい、馬も鹿も人間と同じ生き物だ」
 ある高校の先生が教え子の生徒に贈った言葉。先の曲のフレーズと反芻してとても心に染みる。

境内山門の屋根瓦の葺き替え工事を行いました。

境内山門の屋根瓦の葺き替え工事が完了して、きれいに生まれ変わりました。
工事費は護寺会計より計上させていただいております。ありがとうございました。

専教寺の臥龍松の紹介映像を
倉敷市公式YouTube「高梁川流域デジタルアーカイブ」
で観ることができます。

お月さま、西へ

坊守 佐々木 ひろみ

 コロナ禍により、報恩講などの行事に門信徒参拝ができなくなって約2年になります。ご門徒の皆さまにお会いする機会が少なくなっていますが、皆さまお元気ですか。
 矢掛に道の駅がオープンして、現在少し感染者数が少ない傾向にあるので、休日には、町中に観光客を見かけるようになりました。専教寺に臥龍松を見に来てくださる方もおられます。
 さて、私も仕事に復帰して、家で過ごすことができるのも土日だけ、という生活をしています。3歳の息子は、ようやく泣かずにこども園に行けるようになり、初めての運動会も楽しんで参加することができました。
 先日、息子と一緒に公園へ遊びに行きました。空を見上げると、西に傾いた白い月がありました。月が大好きな息子は大はしゃぎ。その時の会話が、印象的でした。

 息子:「お月さまがあるねえ。お月さまは、どこに行くの?」

 私:「お月さまは、西に帰るんだよ。」

 息子:「西に帰ったら、お月さまのお母ちゃんが待ってるの?」

まあ、なんてかわいいことを言うんだろうと、ほほえましく思いました。家に帰って、住職にその話をすると、「それは阿弥陀さまのお浄土のことのようだね。」と言われました。その時、先日、お彼岸の意味について住職に尋ねたときに教えてもらった話を思い出しました。
 「西方浄土」という言葉を聞かれたことがあるかもしれません。阿弥陀さま(親さま)のお浄土は西の彼方にあるとお経に説かれています。お彼岸は、春分の日や秋分の日あたりに太陽が真東から昇り、真西に沈む頃を言います。つまり、太陽はお浄土のある方向の真西に沈んで行くのです。ですから、お彼岸は、お浄土に還り仏さまになられたご先祖を偲ぶとともに、阿弥陀さまがいつでもわたしたちのそばで、救いのおはたらきを届けてくださっていることに、お念仏をいただいて改めて感謝する日なのです。
 この話と、月の話を重ねてみると、「お母ちゃん(親さま)がいるところに帰る」というところでつながるなあと、納得しました。息子の発言には、もちろんそんな難しい意味はありませんが、私自身もいろいろと気付かせてもらった一場面でした。

自他ともに心豊かに

前坊守 佐々木 京子

 「近くを散歩してみようかなという気持ちに、やっとなれましたので頂いたパーカーが有り難いです。」とAさんがおっしゃったのは、豪雨災害の年の秋でした。ご主人と2人で知り合いのお宅へ避難して、着の身着のままの生活の最中でした。
 「頂いた服を着て来ました。」奥様のお墓参りに来られたBさんは、笑顔でパーカー姿を見せて下さいました。言葉は少ないけれど、“ありがとう”の気持ちが身体中にあふれていました。Bさんは、みなし仮設住宅での避難生活が続いていました。
 豪雨災害発生直後は、ご門徒の方々が持ち寄ってくださったタオル、衣料品、食料品などの支援物資を、住職が受け入れ窓口へ届けました。いずれも被災者への思いを込めた品々です。その後も続く避難生活に、私たちにできることはないかと思いつつ秋になり、専教寺仏教婦人会の役員さんに集まってもらいました。何ができるだろうかとみんな思いは同じです。 「これから寒くなるから、パーカーはどうでしょう。」ということになり、インターネットで調べて取り寄せ、役員で発送作業をさせていただいた次第です。皆さんに喜んでいただきほっとしました。ひとりではできないことも、仏教婦人会のおかげでできました。
 しかし、ご苦労は続いていることだろうと思い続けておりました。
 そして、災害から3年目の今年7月7日、Cさんから仏教婦人会へ絵手紙が届きました。お届けしたパーカーが外出着となり、パーカーの洗濯は外出しない日を選んで行い、着用し続けた日々であったと記されています。災害の悲惨さに胸が締め付けられます。Cさんは、みなし住宅に避難中にご主人が病気で亡くなられ、二重の苦しみ、悲しみの3年間でした。寒さが身に染みる失意の中で、温かく支えられて明るく過ごせる幸せを感じるこの頃とも書いてあります。苦しみを乗り越えようとされている様子がうかがえて、安堵いたしました。お手紙の中央にパーカーが力強く描かれていて、感謝の心を表してくださっていると、胸が熱くなります。
 ささやかな一着のパーカーを活用して下さったみなさま、有り難うございます。健康に気をつけてお過ごし下さい。   
 「自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現(浄土真宗の教章)」に向けて、仏教婦人会は活動しています。痛みを分かち合い心をこめた活動を、みなさまとともに続けていきたいと思います。