平生業成  ~常なる阿弥陀さまの御手の中に~

住職 釋 龍生

 中国の伝説が説話としてまとめられ、日本でも物語として現在に至るまで親しまれている「西遊記」。私の小学生の頃は、テレビで西遊記が、俳優の堺正章さんや夏目雅子さん等の出演で、三十分枠のドラマとして放映されていました。その放映時間になると、私は弟と共にテレビの前を陣取り、楽しみに観ていました。このドラマに使用されていたオープニング曲とエンディング曲、ゴダイゴというバンドのモンキーマジックとカンダーラは、今でも口ずさめます。
 西遊記は、中国の唐の時代の訳経僧、玄奘三蔵が、中国からインドに渡って、仏教の経典を持ち帰るその長い旅を記録した「大唐西域記」の内容が、その後に伝説化して説話や物語として成立したものです。後世に伝説化されたことで、当時の異国に渡る長旅がいかに困難を極めたものがか分かります。
 その西遊記のあらすじはさておいて、その物語の中で次のようなくだりが出てきます。
 天上界や下界で悪さをして手の付けられない暴れん坊の孫悟空を懲らしめるために、観世音菩薩は天上界の長、玉帝の依頼で、天上界に連れてきます。しかし天上界でも暴れ回って手がつけられません。玉帝はお釈迦さまに応援をたのみます。お釈迦さまは孫悟空に、「なぜそんなに暴れるのか」と尋ねます。孫悟空は、「この世で一番強いやつが一番偉いからだ」と答えます。するとお釈迦さまは、「そんなに強いのなら私と賭けをしよう、お前が私の手のひらから抜け出せたら、天上界の支配者にしてやろう。その代わり手のひらを抜け出せなかったら、下界に降りてもう一度修行をしなさい。」と告げます。孫悟空は、「望むところだ」と、お釈迦さまの手のひらの真ん中より觔斗雲に乗って、目にも止まらぬ早さで、天上界を突き進み、天上界の果てと思うところまで飛んで行きます。そしてそこにそびえ立つ五本の柱の一本に、自分の名前を書いて、ついでにおしっこをかけて引き返します。帰ってきた孫悟空は、「天上界の果てまで行ってきたぞ。俺の勝ちだ」とお釈迦さまに得意げに告げます。するとお釈迦さまは、笑みを浮かべながら、自身の手のひらをゆっくりと広げます。するとお釈迦さまの指の一本に、孫悟空の名前と、おしっこをかけた跡がついているではありませんか。驚いた孫悟空は、そこから逃げ出しますが、お釈迦さまに捕らえられて、五行山に閉じ込められました、と。
 私はこのくだりで、阿弥陀さまの常なる救いのおはたらき、平生業成という言葉を味わいます。平生業成とは、阿弥陀さまのお慈悲は、常日頃よりお念仏いただく私たちの体に入り満ちるように包んでいて、いつでもどこでも阿弥陀さまとともに生かされて、そして今生の命が尽きた時には、阿弥陀さまに救われることが約束されているということです。ですから、宗祖の親鸞聖人は、阿弥陀さまのお浄土のことを無量光明土と言われ、阿弥陀さまのことを、帰命尽十方無碍光如来、南無不可思議光如来と表現されます。つまり孫悟空が觔斗雲に乗って飛び回るお釈迦さまの手のひらに顕されたように、私たちは、どこに居ようが、何をしていようが、常に阿弥陀さまの御手の中で、南無阿弥陀仏に込められた功徳・おはたらきをいただきながら生活をしているのです。私たちは、生まれてから死ぬまで、誰もがどうもがいても抗えない生老病死という現実を生きています。またその間、誰もが、「蛇七曲がり曲がりて我が身曲たりと思わず」ということわざのように、自分自身の心の曲がりに気づかず、真っ直ぐだと信じ込んでいる自己中心的な生活を、知らず知らずに過ごしています。だから阿弥陀さまは、このような私たちを決して見捨てず必ず救うと、常におそばで呼びかけて、救いの御手を差し延べてくださっておられます。ですから私たちは、今、阿弥陀さまの救いの御手の只中にいます。

仏婦会員の皆様 いかがお過ごしでしょうか

会長 石井 町子

 昨年より新型コロナウイルス流行の終息が見えず、ますます拡大をつづけている状態で不安な毎日です。したがって、専教寺仏教婦人会行事も中止の状態です。皆様にお会いできないことが残念です。
 所用で矢掛に出かけている時、ご門徒の方が声をかけてくださることがあります。マスクをつけていても何となくわかるものですね。その時はうれしく、またお寺さんにお参りできるようになったら、お会いしたいですね、と会話しています。

 先の見えないコロナウイルスの治療に携わってくださっている医療関係・役所の方々等、国をあげての対応、日夜奔走してくださり、有難く感謝しています。
 コロナウイルスワクチン接種の予約が取れず悩んでいた時、友達が手をさしのべてくれました。スマホで手続きをしてくださり、やっと予約ができてほっとしています。感謝です。そして、友達は「お仏壇に手を合わせ、ゆっくりおやすみください」と言葉を添えてくださいました。
 先日、新聞の川柳欄へ投稿しておられた中の一句
 「接種日が取れて疲れがどっと出る」
全く私にとっても同感。同じような経験をされた方もおられたのだと痛感いたしました。
 どんな状況であっても、阿弥陀様はいつもそばに寄り添って見守ってくださっていることを忘れないようにしたいものです。
 きっといつか終息がくることを信じて、念仏者としてその日その日を過ごしてまいりましょう。

合掌

毎日の中で

坊守 佐々木 ひろみ

 新緑の美しい、いい季節になってきたなあ、どこかへ行きたいなあと思っても、そういうわけにはいきません。もう一年以上、我慢の日々が続いています。岡山県でも緊急事態宣言が延長され、皆様も安心できない毎日をお過ごしのことと思います。早く終息し、だれもが安心してどこへでも外出できる日がくることを願うばかりです。
 さて、令和三年度が始まりました。専教寺では、新しい納骨堂が完成しました。落慶法要も無事終わり、使用開始に向けての準備を進めているところです。
 そして、我が家では、私が育休から職場復帰し、息子はこども園に通い始めました。息子は毎朝、「今日は日曜日だからお母ちゃんはお休み?」と聞きます。また、「お仕事行かないで。がんばらないで。」と言います。そう言われると、何だかとても申し訳ない気持ちになってしまいます。毎日、住職が送り迎えをしてくれるのですが、園に着くと、元気に「行ってきます」とか、「お父ちゃん、ついてこなくていいよ。」と強気に言ったりする日もあれば、ある日は「お父ちゃんがいいの!」と泣いて手を離さない日、「お昼寝が終わったら迎えに来る?大丈夫?・・・がんばれる!行ってきます。」と自分を奮い立たせるような日もあるようです。私が帰宅すると、元気に「お帰りー」と言って、私の顔の前に手をかざして「疲れたの飛んでいけー」としてくれます。本当に一日の疲れが飛んでいくような気になります。息子は二歳ながらに精一杯頑張って、母の疲れをも飛ばしてくれようとする姿をとても愛おしく感じます。

 先日、本堂に置いてあった『御堂さん』という雑誌の表紙に書かれた「まことの保育とは」という文字が目にとまりました。現在の家庭に多く見られる様子や、お寺が母体となっている保育園での保育の様子などの記事でした。その中で心に残ったのが、「不完全な子どもと不完全な親がともに育ちあう」「わたしたちは不完全であるけれどいつも阿弥陀さまに願われている」という言葉でした。これからも、子育てで悩むことはたくさんあると思いますが、いつも阿弥陀さまが救いの御手を差し延べてくださっているということを忘れずに、頑張っていきたいと思います。

このごろ (三月に記しました)

前坊守 佐々木 京子

 新型コロナウイルス感染拡大防止で、専教寺の行事には、門信徒のお参りはいただけませんが、住職と坊守は、門信徒やご相談のある方には細やかに対応し、ご不安ご不便がないように気をつけています。したがって、個人のご法要やご相談は滞りなく勤まっています。
 去年から今年にかけて、納骨堂建築があり、予定はびっしりでした。住職と坊守が連携し、めまぐるしい日程を上手に調整し、奮闘する姿をたのもしく思い感謝しています。それを門信徒の皆様にはしっかりと支えていただいて、まことに有難いことでございます。

 姿が見えないと「あきやは?」とおじいちゃんが何度も尋ねる孫は、二歳の日々を全身で楽しんでいます。ある時、「おばあちゃんは、あきやくんのおばあちゃん?「お母ちゃんはあきやくんのお母ちゃん?」と確認するようなことを言うのです。お友達のE君やM君の母子に会うようになってからです。こんな時期があるんですね。ある日の公園で、E君のお母さんの足に「E君のお母ちゃん!」と抱きついたそうです。

 この孫、お目にかかる方から無財の七施(右参照)という施しをたくさんいただいています。皆さまから慈しまれ、健やかに成長しています。お育てありがとうございます。
 皆さまは大変なコロナ禍を耐えてこられています。行事が再開され、お会いできる日を待ち望んでいます。
 医療従事者の皆さま、いのちを守るためにご尽力くださり、ご苦労の多い日々でございます。感謝の念は言葉では言い尽くせません。心より御礼申し上げます。

無財の七施

  1. 目施(あたたかいまなざし)
  2. 和顔悦色施(にこやかな表情)
  3. 言辞施(やさしい言葉)
  4. 身施(精一杯のおこない)
  5. 心施(慈しみ深いこころ)
  6. 床座施(人にあたたかい席を)
  7. 房舎施(気持ちよく迎えるこころがけ)
浄土真宗本願寺派 仏教婦人会聡連盟事務局
「できることからはじめようダーナの実践」より

 この孫、お目にかかる方から無財の七施(下記参照)という施しをたくさんいただいています。皆さまから慈しまれ、健やかに成長しています。お育てありがとうございます。

無財の七施

  1. 目施(あたたかいまなざし)
  2. 和顔悦色施(にこやかな表情)
  3. 言辞施(やさしい言葉)
  4. 身施(精一杯のおこない)
  5. 心施(慈しみ深いこころ)
  6. 床座施(人にあたたかい席を)
  7. 房舎施(気持ちよく迎えるこころがけ)
浄土真宗本願寺派 仏教婦人会聡連盟事務局
「できることからはじめようダーナの実践」より

 皆さまは大変なコロナ禍を耐えてこられています。行事が再開され、お会いできる日を待ち望んでいます。
 医療従事者の皆さま、いのちを守るためにご尽力くださり、ご苦労の多い日々でございます。感謝の念は言葉では言い尽くせません。心より御礼申し上げます。

花や蛙の挿絵は、門信徒の内村寿美子さんの作品です。

 昨年に続き、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、専教寺の行事は中止になっています。仏教婦人会としての活動も同じく中止になっていますが、役員の皆様には、寺報やこの仏婦だよりの発送作業のお手伝いをしていただくなど、ご協力いただいています。ありがとうございます。
 専教寺では、備中里組の取組として貧困家庭への支援を行っています。仏教婦人会からも、カレー粉やホットケーキミックスなど子どもたちが喜びそうな物を用意し、支援させていただきました。その梱包作業も役員さんが手伝ってくださいました。

支援物資の梱包作業 令和3年2月

会費についてお知らせ

 いつも仏教婦人会の会費納入にご協力いただき、ありがとうございます。昨年度は、ほとんどの行事や研修が中止になりました。(別紙の会計報告をご覧ください)今年度も、そのようになることが予想されます。また、必要経費につきましては、繰り越し分から使わせていただこうと思います。
 そのため、今年度の会費は集めません。ご理解の程よろしくお願いします。

★ 夏休みの専教寺子ども会 は中止します。