山陽新聞に、「アホウドリ」についての記事が掲載されていました。
その記事によれば、アホウドリは伊豆諸島などで繁殖する海鳥です。1890年代から1900年代にかけて、羽毛を目的とした乱獲によって激減し、一時は絶滅したものと考えられていました。しかし、今から約75年前に生存があらためて確認されて、その後長年にわたる保護活動が続けられた結果、現在では推定11,067羽まで回復したことが報じられていました。
一方で、「アホウドリ」という、“かわいそうな名”の由来にも触れていました。人間が近づいても、地上での動きが鈍く容易に捕獲できたことから、このような名前が付けられたといいます。この記事では、長年にわたりアホウドリの保護活動に携わってこられた某大学の名誉教授が、「アホウドリという名は、人間中心主義の思い上がりだ」と評しておられました。
人間とは、際限なく自分勝手な生き物だと思います。浄土真宗の宗祖の親鸞聖人(以下、宗祖)は、そんな人間の紡ぐ世間のあり方を、
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
と表現されます。この意味は、「私どもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のように、たちまちに移り変る世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである」という意味です。世間や人間のあり方は、痴に際限なく自分勝手に生きること、それが人間の真実です。また誰しもが、等しく石ころのような小さな存在です。私たちは、自分にとって都合の良いもの、悪いものを合理的、生理的により分け、そこに好き嫌いを生み出しながら自己中心的に生活しています。宗祖は、自らをも含めて、そのような自分勝手な生き方しかできないまま人生を終えていく私たちのありのままの姿を、煩悩具足の凡夫、と呼ばれます。それはアミダさまの智慧と慈悲に、ほんの少しでも触れることで、初めて気づかされる真実の自己の姿なのです。凡夫の集合体によって成り立っているこの世間に、真実はおろか完全なものなど存在しません。アミダさまは、人間の自己中心的な性から生じるあらゆる心を、そのまま平等に受けとめ、すべての生きとし生けるものを、かけがえのない命として大切に見守ってくださっています。私たちは自分の考えや価値観を真実だと思い込んで生きています。しかしその判断は、私たちの都合や感情によって絶えず移ろいやすく、決して確かなものとは言えません。人生の本当の意味や真実は、自分の知恵や努力によって見い出すのではなく、アミダさまの救いのおはたらきが、お念仏となって私たちに届けられる中で、この身に深く知らされていくものなのです。私たちは、ただアミダさまの救いのおはたらきにお任せし、お念仏をいただくのみです。